私なりの時間の過ごし方〜観察癖〜
ベルギー人のダンサーとSkypeをしてる時に発見した事。
まぁ英語での会話だし、直接会えてるわけでは無いし、ダンサー同士なので
いつもジェスチャー多めで話してる私たち。
今日はその時間の中で小さなことを見つけました。
発端は
”書く”というジャスチャー。
私が「〇〇を書いてる」という話をしてる時に
自然としていた”タイピング”のジェスチャー。
そのことに自分自身で小さく違和感を覚えました。
そのままスカイプは終了。
でも私の中でこの
”writing" "書く”
と
”typing” "タイピング"
の違和感がどうしても消えない!!
この違和感への興味が止まらないのでこの記事を書き(タイピング)始めました・・・
”書く”
昔ならペンを持って手首を動かすジェスチャーだったはず。
20年前のジェスチャーゲームをしている人の中で
両手の指をパラパラ動かす”動作”を”書く”と答える人は何人いただろう。
”聞く”
耳の後ろに手のひらを立てる、ダンボの耳的なジェスチャーから
今は、指や手のひらでむしろ耳をふさぐ動作(イヤホンやヘッドフォンイメージ)の方がしっくりくるかもしれない。
”見る”
手のひらを下に向け、親指を目の上に置く
今は、手のひらを見る(スマホの画面のイメージ)や昔よりも近いものを”見る”気がする
”話す”
目の前にいる人にまっすぐ向かって話す
携帯やマイクを持って(に向かって)話す
特に今の状況からより違いを感じるんだとは思います。
時代によって人々の生活は変わっていき、それによって行動やジェスチャーも変わる。
こんなこと当たり前だとは思うけど。
まさに、めまぐるしく変わる流れの中、
今、自分が立つ点から実際自分の身体で経験している。
昔と今
特に共通する違いの一つは距離だと思います。
では、”書く”と同じように、私の生活に近いことは今後どう変わっていくのだろう。
”踊る”
”演じる”
”パフォーマンスする”
”教える”
”会う”
”飲みに行く”
もっとイメージしやすくすると、
”ダンスレッスンを受ける”
”芝居を見る”
”人前で表現する” など
現にこの10日間で教えはオンラインクラスだけになり、
いつも時間になったら
「おはようございます!」とスタジオのドアを開けて生徒の顔を見ていたのが、
時間になったら
自分のカメラをオンにして「おはようございます!」とみんなの画面とマイクのチェックをするようになりました。
ネットやSNS上は都会の喧噪さながら、ネオンの看板みたいな宣伝や街頭演説みたいな意見の主張や、電車の中でみんなに聞こえる声で話してる内緒話みたいな会話で溢れています。
私もその中の1部です。
緊急事態宣言が出されて10日。みんなが距離に敏感だと思います。
コロナで頻繁に使われている
ソーシャル・ディスタンス
ここ最近個人的に感じる
ロング・ディスタンス
ディスタンス
距離ってなんだろう。もしかしたら一番価値観が変わってくることかもしれません。
変わっていくことにいいとも悪いとも判断せずに、でも変わっていることを出来るだけ感覚的に捉えていきたいなと思ってます。
スカイプ終了数時間後、
私のこの雑な興味を彼ともシェアしたくて、もう一度スカイプでこの話をしました。
上に書いたようなことを色々とディスカッションしたのち、
”距離”
をジェスチャーやダンスで表すならどんなことをするだろう。
どんな可能性があるか。いくつできるか。
という、新たなミステリーを見つけてしましました。
観察はイコール表現になっていて、きっと表現を受け取る人がまた観察してそれをその人のフィルターを通して表現して・・・
この連鎖が文化・芸術であり、これがなくなるのは人が観察をやめる。興味をなくすこと。
そんなことは絶対に不可能です。
だって、「人間は考える葦である」 パスカル
だから。
私はしばらく、距離について考えてみたいと思います。
ダンスクラスもぼちぼちマイペースに続けます!
今みんなと踊る時間は本当に私の活力だし、少しでも誰かの力になりたいと思ってます!!
日時が決まるごとに私のSNS上でお知らせ(路地裏の手書きの看板ような笑)したいと思います!
そして早くこの状況が収束しますように。従事している方々に敬意と感謝と協力を。
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